今月の法話

正善寺だより「聞・聞・聞」第93号より

法蔵菩薩の「五劫思惟」

仏教とは、仏様が中心です。そこで、仏様とはどういうおかたなのかを、『仏説無量寿経』を通して学びたいと思います。
浄土真宗のよりどころは、『仏説無量寿経』というお経です。ご承知のように、親鸞聖人の「正信偈」の「帰命無量寿如来」のお言葉は、この『経』から取られたものです。そこには漢訳で無量寿如来、インド語では「阿弥陀仏」といわれる仏様のことがくわしく説かれています。
それによりますと、阿弥陀仏はもと修行されておられたとき、名を法蔵菩薩と名のっておられたそうです。その法蔵菩薩は、私はこういう実力を持った仏になりたいと、四十八の願いを立てられました。そして、その願いを実現するために、兆載永劫にわたって修行をされたと説かれています。
「正信偈」に「五劫思惟」という言葉があります。『仏説無量寿経』には、法蔵菩薩は人びとを救うために、「五劫」という永い時間をかけて救いの方法を考えぬかれたと説かれているのです。そのことを「思惟」とよんでいます。
また「五劫」とは、永い、永い時間をあらわす譬えです。ただ、時間の感覚はさまざまです。また、永いといっても、その永さを実感することができません。
ところが、インドの人たちはそれを実感させてくれるのです。
たとえば、四十里四方の石があると仮定します。つまり、富士山の四十倍以上という大きな石です。その四十里四方の巨石を、三年に一度天女が羽衣で一さすりするというのです。そして、その巨石が羽衣によって完全にすり減ってしまうまでの時間を、「一劫」と考えるのです。その及びもつかない時間の五倍が「五劫」という時間なのです。それほどの時をかけて法蔵菩薩は、私たちの救いを考えてくださったという説話です。
ふり返って自分自身を考えると、私たちは自分の人生を、どれほど真剣に考えているでしょうか。一回きりの人生をどう生きるか、自分にとって本当に間違いのない人生とはどのようなことか、真剣に考えたことがあるでしょうか。だから、「五劫思惟」という言葉は、すごいというべきなのです。
これほど永い時間を費やして四十八願を思惟して、その願い通りの実行力を完成するためには、実力を養わねばなりません。その実力を養うための修行の時間は、「五劫」よりも永く「兆載永劫」と説かれています。億・兆の「兆」、千載の「載」、永遠の「永」、そして「劫」です。考え及ばない時間です。それほどの時間をかけて修行されたと説かれています。

浄土真宗の生き方―愚禿を名のった親鸞聖人

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