正善寺だより「聞・聞・聞」第84号より
ホスピスをご存知でしょうか。末期がんなどで治療が望めない方々のための施設を一般にホスピス病棟といいます。私はそこでささやかなボランティアをさせてもらっています。
数年前に小学2年生の女の子に出会いました。今、ここにその子の写真があります。ベットに横になった若いお母さんにその子と幼い弟が腕枕をしてもらって、その後ろにはお父さんがいます。みんな嬉しそうな笑顔です。この写真を撮った一週間後、お母さんは亡くなりました。
しばらくして看護婦さんへ手紙が届きました。お許しをいただいてご紹介します。
「かんごふさんたちへ」
お母さんを、最後までたくさんやさしくしてくれてありがとうございました。
お母さんをうでまくらにしてねさせてくれてありがとうございます。そのことはいっしょうわすれません。そして写真ももらってありがとうございます。
かんごふさんも先生もみんなありがとうございました。
お母さんのゆめを見ました。お母さんがひつぎの中に入っていて、手も足も動いて目もあいていて、「ゆかちゃん、ひみつにしとってね。ぜんぶ動くようになった」といっていました。
毎日、お母さんにせんこうをかかさず立てます。
幼い姉弟にとってお母さんを亡くすことはどんなに悲しかったでしょう。お母さんも幼い子どもたちを残して逝くのは何よりも辛かったと思います。その悲しみをまっすぐに受けとめて生きようとしている女の子の姿が、一生懸命書かれた文字からうかがえます。この手紙を読んだ看護婦さんと先生方は泣かれたそうです。
ホスピス病棟は、こんな出会いと別れが常にあります。
私たちは何もしてあげられずただ立ちつくすだけでしたが、大切なことを学ばせていただきました。それは、死の恐怖や悲しみを抱えながら共に歩み死を超えていく方々の姿でした。いつか死ぬのに生きるとはどういうことなのでしょうか。
私たちの前には、仏さまに見守られていることを思い、命がどんな形で終わろうとも心配せずに歩む道が開かれています。女の子もお母さんもそして私もその道を共に歩ませていただいていたのです。
この出会いを通して、死を越えていく浄土への道を感じさせていただきました。
「本願寺新報」より