正善寺だより「聞・聞・聞」第87号より
人間の願いを大きく分けると、一つに「安らぎ」、もう一つは「喜び」といえます。
誰でも不安な日暮らしをしたくないのが本音です。そして悲しいことを望んでいないのも、私たち人間ではないでしょうか。直接口に出して言いませんが、子どもからお年寄りまで、平和でなごやかな明るい日々を願っています。では、みんなが願っている安らぎ、喜びはどこから出てくるかを考えて見ましょう。安らぎ、喜びを生み出すもの、それは明るさと、あたたかさ(やさしさ)ではないでしょうか。安らぎの反対は不安です。
いま日本は世界の中でも、もっとも
安定した平和な国といえます。しかし戦争などで被災した難民の人たち、食料も乏しく、いのちさえ危険な情況におかれている人も多いことです。お先まっ暗では不安でおのずから顔の表情も違ってきます。平和でなごやかななかにこそ笑顔も出てきます。まさに笑顔は明るさをつくり出す源といってよいでしょう。
そしてもう一つ、あたたかさ、やさしさが、安らぎ、喜びを生み出すものといえます。あたたかいの反対は冷たいです。日常生活においても、冷たい態度、まなざしでは、相手に与える感じが異なってきます。ぜひ、あたたかい、やさしい態度、姿勢を忘れないでほしいものです。人間の願いである安らぎ、喜びは、本当の明るさ、あたたかさに出遇ったときに出てくる――をご理解いただけたことでしょう。
そのことを親鸞聖人は、お正信偈の一番初めに「帰命無量寿如来、南無不可思議光」とお示しになりました。これは「本当のあたたかさ、やさしさをもっておられる阿弥陀さま、本当の明るさをもっておられる阿弥陀さま」といえます。
「本当の明るさと、あたたかさに出遇ったとき、安らぎ、喜びが出てきますよ」と示されたのが聖人でした。仏教用語で表すと、明るさは智慧、あたたかさ、やさしさは慈悲です。
こうみてきますと、私たちがお仏壇におかざりする灯(ローソク)は、明るさ、お花は、あたたかさ、やさしさといえます。お寺で、ご家庭で仏さまにお参りするときは、こうしたことを思い浮かべていただくと、よくご理解いただけるでしょう。
藤 実 無 極